訃報:三善晃さん80歳=作曲家、文化功労者

私達が高校、大学と在籍している間、学長として私達が親しんだ三善晃先生が他界されました。。。

15歳の時、憧れの桐朋学園の入学式の日に聴いた、学長の三善先生のスピーチ。

これが、当時の自分にとって、『桐朋学園に入るということは、こういうことだったのか』と思わせる、とても深い、深い内容のお言葉だったのです。とても哲学的であり、そして惹き込まれるものでした。その衝撃は、未だに忘れられません。

そして、私達の高校1年、2年の時の担任の先生が、三善先生の愛弟子の法倉先生でした。その関係で、桐朋祭の合唱コンクールでは、毎年三善先生の合唱曲を歌って来ました。そんな訳で、我がクラスはまさに『三善一色』でした。

そこで歌った『ごりらのジジ』や『狐のうた』は、まさに私達の青春であり、と同時に三善先生の哲学性や深さ、というものを身体で感じ取って行ったのです。

それから約20年が経ち、ふとしたきっかけから、生涯の伴侶である現在の夫くんに出会う訳ですが、
この夫くんは、数学者でありながら三善晃のことを『古今東西のあらゆる作曲家の中で最も尊敬する作曲家です』と言いきり、たいへん尊敬しているのです。

そして、ただ尊敬しているだけではなく、三善先生の作品が演奏されるとなったら、夫くんはその演奏を聴きに日本全国、どこまででも出かけていきます。そして、手に入る全てのCDや楽譜は手許に持っているでしょう。
そんな影響で、我が家で流れる音楽はほとんどが現代曲です。

そんな事もあり、結婚後、私達は、二人のそれぞれの視点から、三善先生を更に深く知ることになり、
そして、三善先生関連の作曲家の方との繋がりも、まるで螺旋状の様に膨らんできている様に感じます。

ちなみに、3ヶ月前に私達ザレファストリオの第一回杉並定期演奏会で、金子仁美先生の作品を演奏させていただいたのですが、その金子仁美先生も三善晃先生の愛弟子でした。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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訃報:三善晃さん80歳=作曲家、文化功労者

毎日新聞 2013年10月05日 18時49分
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【写真】作曲家の三善晃さん=2003年撮影

 鋭利な感性と繊細な音色が溶け合う独自の作品により内外から高く評価された作曲家で、文化功労者、日本芸術院会員の三善晃(みよし・あきら)さんが4日、心不全のため亡くなった。80歳。葬儀は親族で営んだ。喪主は妻由紀子(ゆきこ)さん。お別れの会を後日行う予定。

 小学生のころから平井康三郎に作曲を習い、東京大仏文科在学中の1953年に第22回音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)1位となり一躍注目された。翌年、尾高賞を受賞、同賞の受賞は6回と最多になる。55年からパリ国立音楽院に留学、アンリ・シャランに師事、アンリ・デュティユーの影響を強く受ける。帰国後は毎日音楽賞、芸術選奨文部大臣賞、NHK作曲賞、日本芸術院賞、サントリー音楽賞などを次々に受け、“受賞魔”の異名をとった。

 代表作には、詩の文学的解釈に大きく踏み込んだ「白く」などの歌曲、精緻な技巧が革新的な音色を引き出すバイオリン協奏曲、オーケストラに児童合唱を入れて童謡を異化し現代への鏡とした「響紋」や、自己の戦争体験を凝視した「焉歌(えんか)・波摘(なみつ)み」など、反戦を通奏低音とするオーケストラ作品、遣欧使節の仙台藩士・支倉常長を描いたオペラ「遠い帆」などがある。また多くの合唱曲も合唱団の欠かせないレパートリーになっている。

 東京文化会館長や桐朋学園大学長、日本音楽コンクール委員長などを務め、後進の指導にも力を入れた。2001年に文化功労者。文章家で著書も多く、趣味の料理レシピを集めた本もある。
【特別編集委員・梅津時比古】


◇作曲家・池辺晋一郎さんの話

 戦後の作曲家という枠を超え、日本の音楽史の中で最高の才能を持った一人でした。優れた感性と冷静な論理性を兼ね備え、音楽的な技術に付随する教養・知性も圧倒的でした。その才能は、オーケストラから合唱曲まで、すべての曲に表れている。二十歳の時から師事してきたので、寂しさがこみ上げています。
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by karol1 | 2013-10-07 03:15 | Comments(0)